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2004/9/21スタート。実はNZからお届けしております。現在隔日更新中。
ぼなぶろぐ
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術後6週間とあったのに指定された日はおよそ9週間後だったフォローアップ、無事終了しました。
術後あまりにもわからないことばかりだったので行く前に確認することをメモしておいたのだけれど、担当のえらいドクターはいやな顔ひとつせず説明してくれましたですよ。

まず手術の詳しい説明を写真を見ながら。
正直見てもよくわからないけれども、とにかくこことこことここにも子宮内膜があってきれいにしましたよ、と。
次に今後どうするかの話。
子供何人いるかきかれたので1人いてもうこれ以上考えてませんと答えると子宮内膜症の進行をおさえるためにピル処方しますと。
薬辞典みたいなのをめくりながら手書きでサラサラと処方箋を買いてくれてる間に、あらかじめメモしておいた質問、定期的に検査とかした方がいいのかをきいてみた。
そしたら少し考えて、6ヶ月後に超音波受けるのがいいね、と。
書き終えた処方箋を渡されてこれで終わりっぽかったので、最後にもうひとつ、子宮筋腫はこのままなにもしないでいいのかもきいた。
すると最初に見せてくれた写真を指し示して、これが筋腫だけど大きくないから今は気にしなくて大丈夫だよと安心のひとこと。

大きな安堵のため息をついて、ドクターと握手して終わり。
これでしばらくこの件で病院にかかることはないであろう。
あとは悪くならないことを祈りつつ健康的な生活を送ろうではないか。

しかし毎回のことながらドクターに会うのは緊張するのだった。
というかそもそも何をするにも緊張するのだ。脇の下にいやな汗をかくのだ。
そして終わった後にどっと疲れが出て何もしたくなくなるのでこれがひどくなると社会生活不適合者になりそうだ...コワイコワイ


=== 追記 ===
当日は夕方遅かったので翌日に薬局に処方箋を持って行ったら$50くらいかかって驚愕。
金食い虫でごめんよ...
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手術のフォローアップは6週間後に実施、と退院時にもらったレターに書かれていた。
それからいつ病院から連絡があるかしらん、と待ってました。

手術翌週の火曜日に病院から電話が。
が電話の相手がどうも要領を得ず、先週手術したばかりですけど6週間後ですよね?と確認したらああそうでしたとなって何事もなかったように電話終了。
その後連絡なし。えー。

放置のまま近くなってしまったらこっちから連絡しなければなるまい...とかいろいろ考えていたのだけれど、今日になって予約のレターが届いた。
これでもう電話はないだろう。
いつ電話があるかわからないので携帯電話は文字通り常に携帯するようにしていたけれど、もう家に置いといても大丈夫(←

でその予約日なのだけれど、6週間後どころか2ヶ月以上経過した日付なんですけど、まあそんなものなのでしょうね。
忘れられてないならいいや。

その後の経過をかんたんに。

術後2日
まだまだおなかの痛みあり。鎮痛剤服用。
食事量は普段より少ない。あと味覚がおかしい気がする。
非常に疲れやすく、30分起きてなにかしたらその倍は休むという感じ。
お昼ごろ椅子に座ってPCの前にしばらくいたら気分悪くなって寝た。
19日からずっと便通がないので処方されたセンナの薬飲む。(出た)
夜なかなか眠れない。

術後3日
起きたらちょっと腹痛いくらいになってきた。まだ鎮痛剤継続。
スーパーに買物に連れて行ってもらうくらい元気。がすぐ疲れる。まだ歩くのもゆっくり。
家で横になってたら冷えたのか腹痛が。
それでもごはんは作らねばならぬので昼も夜も休み休み作って食べて力尽きる。
ずっとシャワーのせいか冷えがちっとも改善せず夜も下痢。ツライ。
深夜子がうなされてたので添い寝してあげたらせっかく改善した腹痛がまたひどく。失敗。

術後4日
朝はだいぶゆっくりさせてもらい、昼は外出、外でごはん。
さすがに疲れたので午後は家で休む。
また詰まったのでセンナ。
傷口のテープをこの日に剥がすよう指示されていたのでシャワあがりにビリビリっといった。
傷口の糸がおなかの皮膚に触れて気になる。
夜また腹痛。鎮痛剤鎮痛剤。

術後5日
体力がないのは相変わらずだけれど具合はわりといい。
しかし腹具合がよろしくないのが続く。
この日から夜鎮痛剤なしで寝てみる。
それとは無関係に夜中大汗かいて起きちゃって眠れなくなる。これはもしや更年期症状...

術後6日
前の日からちょっとくしゃみ鼻水が出ていたのだけれど、この日も続いた。
しっかりごはんを食べられていないし、味覚障害のような状態も続くので、ドーピング決意。
スーパーで亜鉛のサプリメントを買ってきた。
わりとゆっくりしていたにもかかわらず夕方腹痛。
なかなか眠れないのはデフォ。

術後7日
本当はこの日抜糸ということになっていたのだけれど、GPの予約がとれなくて翌日に。
体調は悪くなかったので気分転換に街へ。30分くらいぶらぶら歩く。
手術後初外コーヒー&ケーキ。
冷え対策にレッグウォーマー...と思ったけどどうにも売ってないのであきらめて夜寝る前に足湯することにしてみた。いいかも。眠れないけど。

術後8日
抜糸。GPでナースにプチプチ糸を抜いてもらった。風呂は翌日から解禁。
もうだいぶ普通に生活できる感じ。
子を学校に送ったり、買い物したり。
足湯してもやっぱり眠れない。

術後9日
かなり普通の生活。
念願の風呂。しみない。眠れないのは続く。

術後10日
軽く踏み台昇降運動再開。
眠れない以外は普通の生活。早く戻ってわたしの睡眠サイクル...


こんな感じでもうほぼ回復したといって差し支えないんじゃないでしょうか。
しかし重いものには要注意。
この間うっかり2リットルの牛乳2本買ってきちゃって大失敗でしたよ...

ずっと鎮痛剤飲んでたので痛みはさほどでもなかったけれど、ほとんど眠れず長い夜であった。
なんとなく廊下に人の声が多くなってきたなーと思ってたら朝になったらしく、枕元の水差しが新しいものに替えられた。
この日の担当ナースはベテランナースと実習生っぽい若いお姉さん。お姉さんは腕に立派なタトゥーが入ってた。朝イチでフットポンプを外し、もうじきカテーテルとドレーンも抜くという。
朝ごはんの後にドクターの回診があるので、OKが出たらシャワー浴びて帰っていいですよと。
早いなー。

朝食前にカテーテル抜き。
痛くはないけどちょっと変な感じかも、と言われつつ抜く。大きく息を吸って、吐いてー。の吐いて部分で引っ張りだすのの3回目で無事抜ける。
初回トイレに行くときはまずベッドに座って足を床につけて、少し落ち着かせてから立ち上がるよう注意を受ける。それから尿の量をはかるのでトイレに備え付けの採尿容器を使ってねと。
はたしてちゃんと立ち上がれるのだろうか。ドキドキ。

それから朝食がきた。トーストとポリッジ、そして缶詰フルーツみたいなのと牛乳。
前の夜に食べられなかったので食べたい気分がそれはそれは大きかったのだけれど、トーストは焼いてから時間が経ってしまっているのでパッサパサでツライ。(食べたけど)
でもってポリッジは苦手なので食べられず。フルーツは全然甘くない。
せめてヨーグルトでもあれば...と思いつつ同居人に「来るときバナナ持ってきて」とテキスト。

物足りない食事でがっかりしていたら執刀医が顔を出した。
とりあえず手術はうまくいって悪いところは取れたし卵巣も残ってるから!と簡単に説明され、またあとで来ると言って去っていった。
その後わたくしの担当医であるところのいちばんえらい先生がいらっさった。
で手術は成功しましたよ、今日退院していいからねと言って去っていった。
すごくあっさり回診終了。いいのかこれで。

少ししたらおとなりのベッドにナースがドレーン抜きに来た。
ベテランナースが説明しながら手際よく抜いていた模様。これも痛みはないけど変な感覚らしい。
片付け終わってまた道具持ってやってきたのでいよいよわたくしの番かと思ったら、実習生ナースがやるので手際悪いと思いますゴメンネ☆とまず断られる。
お姉さん緊張しながら道具を用意して、ゆっくり確認しつつわたくしの腹に触る。
すごーくくすぐったい。思わずヒヒヒと笑ってしまう。謝るお姉さん。こらえるわたくし。
腹に触られるたびに笑ってしまった。くすぐったがりですいません。
傷口まわりをきれいにし終わって、いよいよドレーンを抜く...という段になって、実はドレーンがすでに半分くらい抜けてたことが判明。それで漏れ漏れだったのか!
なんともいえない感じでドレーンを抜いて傷口4ヶ所にテープを貼ったのだけれど、ドレーンがささってたところだけしっかり貼りつかなかったようで、ここだけ帰る前に確認しますから、と言われる。

これでわたくしの体にささっていたものすべてなくなって晴れて自由の身に。
そしてフト感じる尿意。トイレだ!言われたとおりにゆっくり立つのよ!
ずっと全開だった手術着の紐を苦労しつつ結び、まずはベッドに座って足をゆっくり床につける。そしてベッドと椅子につかまってゆっくり立つ。ちょっとクラクラする気がするけど大丈夫、それより腹が痛い!
前傾姿勢で腹をかばいつつスローモーな動きでトイレに向かうと、使用中。
近くの別のトイレ...とまわりを見回しても見当たらない。
とりあえず部屋に戻ろうとしたら同居人がやってきた。

カテーテルもドレーンも抜けて自力でトイレをー、とか説明してるうちにトイレがあいたので行ってみる。卵のパックみたいな紙でできたでかい採尿容器がどどーんと置いてある。どうやって使うのかさっぱりわからず、近くにいたナースに使い方をきく。便器と便座の間にはさんでそのまま用を足すんだと。終わったら量るのでナースコールで呼んでねと言われる。
しみたり痛かったりしたらやだなぁと思いながらおそるおそる用を足す。...痛くない。
ナース呼んで容器を持ってってもらい、またスローモーな動きで部屋に戻る。

ちょっと動いただけでどっと疲れが出たのでまた少し目を閉じて休んだり。
おとなりのベッドの人はファミリーがきて賑やかになった。ドクター?も来て手術の説明とかしていた。なんか帰り支度もしているっぽい。早いなー。

それにしてもドクターが詳しい説明しに来ない。
そうこうしているうちに所定の退院時間であるところの11時を過ぎた。さらにベッドには退院関係書類と処方箋が置かれていた。これはもう来ないな...
トイレ行けたら点滴針も抜くことになってたので抜いてもらい、もう諦めてシャワー浴びて帰ることに。24時間以上ぶりに下着履いたw
部屋に戻るとランチが置いてあったのでありがたくいただいてから部屋を出る。
ミーティング中のナースに帰ると声をかけて、牛歩(懐かしいw)で駐車場まで歩く。
最後までバタバタであったよ...

家に着いて少し休み、シャワーで頭洗ってスッキリ。
薬局で薬を買ってきてもらったのだけれど、よく考えたら薬の飲み方の説明されてなかったorz
電話しようかとも考えたけど薬名でググったら用途がわかったのでやめておいた。(痛み止め3種類と便秘の薬)
ときどき眠くなる以外はわりと元気だったので夜ごはんにシリアル食べたら嘔吐。でもおなかはすいてたのでりんごをシャクシャク食べる。
夜は3時間ごとに起きてしまう。まだ麻酔が残っている感じ。腹も痛む。
それから数日は同じ家にいるとはいえ子とトーチャンとは別の生活を送っていたのであった。

あと1回くらい、続く。

手術当日、指定された時間は朝7時。
病み上がりの子を置いていくわけにはいかないので、また3人で朝早く家を出る。
5分前くらいにメインの受付に着いて、また住所だのなんだのの確認。
書類を渡されSurgical Admissions Unitの場所を案内される。

1フロア上ってSugrgical Admissions Unitの受付で今もらった書類を渡す。
待合室で待つよう言われたので座っているとすぐナースに呼ばれた。
きちんと壁で区切られた個室に案内され、ひととおりペーパーワーク。
いろいろ確認。ここでも日帰り手術と言われる。変更が伝わってないらしい。いいけど。
そして尿検査。採尿して部屋に戻ると手術着に着替えるよう言われる。
ここには前回着替えた手術着一式のほか、上に羽織るガウンもあったのだった。
着替えを済ませ、ここから先は不要の上着を同居人に預ける。体温血圧を測り、パラセタモールを3錠飲む。この辺りで子が飽きてきたのでここで一旦お別れ。家に戻ってもらうことに。

それからすぐ執刀医がやってきた。金曜日に血液検査するよう電話くれた本人だった。
軽く手術の説明、そしてすぐに去っていった。
次にチャキチャキした麻酔医のお姉さんがやってきて全身麻酔の説明、そして承諾書にサイン。
麻酔医が部屋から出てしばし後再び執刀医登場。
インターン?の立会の可否を問われたのでどうぞどうぞとまたサイン。
手術内容の確認して、その中に子宮鏡(?)か何かがあったのを訝しがり、インターンくんにこれはどういう意図だと思う?ときいていた。インターンくんはたどたどしく思うところを述べていた。
でわたくしにも何かきいているかきかれたので、前回のドクターはついでに筋腫も取るようなことを言ってましたが、というと、いやこれいらないと思うわ。やらないかも。というようなことを言っていた。(理由は不明...まあメインは子宮筋腫ではないので)
最後に手術の後はカテーテルとドレーンつけます、痛みがあると思いますと言いつつ執刀医退室。ひー。

そんな痛いなんて今言わないで...と思ってたら最初のナースが部屋に戻ってきた。
そして手術中の担当ナース(メガネでかわいい)もやってきて、ナース二人で確認作業。わたくしの荷物もまとめてどこかに運ばれていく。「ではTheatreに行きましょう」とかわいいナースに誘われ手術室へ。いったいどこが手術室かと思ったら、待合室から見て左側がその個室、右側が手術室なのだった。すごく近い。
その少しの移動中にかわいいナースに「ドクターが手術後痛みがあるって言うんですよひーん」と泣き言を言ったりしちゃったよ。大丈夫大丈夫、とおだやかに慰めてくれた。

関係者以外立ち入り禁止のドアを開け、いくつもあるカーテンのうちの一つを開けると、さっき会った執刀医が、麻酔医が準備中。
ナースが手術衣の結び目だけほどき、真ん中にある幅狭めのベッドに横になるよう指示されたので、ヨッコラショと上がる。(ベッドが高いんだコレがw)
はるか昔に日本で盲腸の手術したときはいかにも手術室です!的な照明とかがあったけれど、ここではそういうものは目に入らなかった。きっと移動式とかであとで出てきたのでしょう。
「ちょっと冷たいですよ」と上半身に電極みたいなのが貼られ、左腕にもなにかつけられたような。
それからさきほどとは別の麻酔医のお姉さんが右手に点滴針を刺したのだけれど、どうにも苦戦していて、結局うまく刺さらなかったらしい。チャキチャキお姉さんがもう一回チャレンジして今度はちゃんと刺さった様子。
じきに麻酔が落ちてきたらしく少し腕が痛くなってくる。ナースがわたくしのメガネを外し、マスクを装着する。緊張していたのでゆっくり大げさな深呼吸を5回くらい。


...気づいたらナースが「終わりましたよー」とそばにいた。しっかり保温されていたのか、からだのまわりがあたたかい。落ち着いてからそれをわしゃわしゃと剥がされたような気がする。
痛みはないかきかれたのだけれど、そんなに痛いところはなかった。が少し気持ち悪かったのでそう答えた。あとまだなんか眠いですと。声がガラガラ。ふくらはぎにはフットポンプが巻かれ、一定時間ごとに交互に空気が入ったりしぼんだりしていた。
まわりを見回すと、その部屋はいくつもベッドが並んでいて、カーテンで仕切られていた。少しするとまた別の患者さんのベッドが運ばれてきていた。おお、ここがRecovery Roomか。
ナースに今何時かきいたら12時半くらいだと言ってたと思う(うろ)7時に受付しておそらく8時頃には手術室に入っただろうから、4時間くらいかかったのかしらん。

などと考えていたらWardに移動しますと言われる。ベッドを移動する人が来て、男性ナースとおぼしき人とともにガラガラと移動。移動先の病室の入り口ドアが大きく開くタイプではなく、壁に軽くガツンとぶつかったのは覚えている。婦人科病棟のナースが「ここ狭いんですよね~」とか言っていた。
枕元に水差しとストローをさしたコップが用意されたけど動けない。ナースが口元に持ってきてくれてなんとか飲む。動くと痛い。そしてやっぱりうすら気持ち悪い。
右側に尿道カテーテル、左側にドレーンがついてる旨説明され、あと手元にナースコールボタンを下げてくれた。右手に点滴、鼻には酸素チューブ。

眠い感じがするので目を閉じていたら近づいてくる物音が。子と同居人が到着したのだった。
ガラガラ声で会話。うっすら尿意を感じたのでちゃんとカテーテルにしっこたまってる?とか、そのような。ドレーンの先にたまった液体をみておかあさんジュースだよ!とか言ってた。多分。
それからナースが体温血圧はかりにきたり、痛み止め(主にパラセタモール)を持ってきたりしたので、預けた荷物がいつ戻るかきいたり、水を飲ませてもらったり。
とにかく自力ではほぼ動けず、麻酔が残っていてうすら眠いし、そしてときどき気持ち悪い。手の届くところにVomit cup(プラスチック製のでかいカップ)を置いてもらう。

うすら眠いけど長く眠れるわけでなく、同室の入院患者さんがどうもこれから同じ手術をするらしいとか、時間になって運ばれていったとか、付き添いのパートナーの人が病室で手術が終わるのを待っているとナースに「他の患者さんもいるので家族用の待合室に移動してくださいね」と言われてたりとか、わりとどうでもいい情報ばかり耳に飛び込んでくるのであった。

子が飽きたので病院内を探検に連れて行ってもらったとき、なんかおなかにかけてたシーツがひんやりするなと思ったら、ドレーンが漏れてシーツピンク色になってたorz
シーツかえて手術着かえてブランケットかえて、がんばって力入れておしりを浮かせて下に敷いてた防水シーツも交換。かなりぐったり。

夕方になり、点滴が空になった。動きにくくて水があまり飲めないのでそのまま点滴継続してほしかったけれど、空になったらそれで終わりとのことで点滴終了。
そしてもっと水分取るよう言われる。ううう。
そしてあまり遅くなると道路が混んでいけないので4時頃に家族は帰ることになった。
一人になってすぐオエっといってしまうほどの吐き気が。そして熱い。すごい汗。
ナースコールして気持ち悪さを訴えたらすぐに吐き気止めの薬を持ってきてくれた。

それからも吐き気の波があってもうずっとカップは手放せないでいた。
少し寝て、たまに痛みで唸って、そして吐き気で唸るという。
そうこうしているうちに夕食の時間になったらしく、つい半日前に手術したばかりのわたくしのところにも食事が置かれた。えー。
特に何の指示もなかったので、食事を運んでくれた人に「まだごはん食べていいかどうかわからないんです...というかそもそも起き上がっていいのかどうかもよくわからないです...」と力なく言ったら、ナース呼んでききなよ、と言われたのだけれど(そりゃもっともだ)はっきりいって食事などどうでもよくなってたのでそのまま放っといた。
そしたらこの人がかわりにナースにきいてくれたらしく、食べていいっていってたよ!と声をかけてくれた。それならとベッドを少し起こしたのだけどいろいろ痛みが出てそのままじっとしてたら、また様子を見に来て、今6時だから7時に食器を下げにくるからと。生返事してまたじっとしてたら聞こえなかったと思ったのかもう一度同じことを言われたので、荷物が戻ってこなくて時計もメガネもないんで時間わからないんスよねーへへへーと返事。そしたらなんかその人がナースに苦情を申し立ててるような声がきこえる...!英語なので中身はよくわからないけれども。

それはともかく朝から何も食べてないので食べられるものがあるなら食べたいと思い、痛むおなかをかばいつつ微妙な姿勢で夕食オープン。メニューは細切りビーフをグレイビーっぽいソースで煮たようなもの、そしてデザートはケーキのカスタードがけ。
ビーフを一切れ、付け合せのグリーンピースひとつ、そしてマッシュポテト少し食べた時点で吐き気。もうこれ以上食べられない... カップ片手にしばらくやりすごし、落ち着いたところでケーキをごく少量味見してみたら、かなりの甘さと香り立つシナモン、ときどきりんご。砂糖がとれればもう少し回復するだろうか...となんとか食べようと試みるも、りんごを数片食べたくらいでギブアップ。無理だ。無理だー。もっと軽いものにしてくれー。

フタを戻ししばらくぐったりしていたら件の人が食器を下げに来てくれた。食事が終わったかきかれたので、食べたかったけど気持ち悪くなっちゃって...と答えたら、少ししてまたナースセンターから苦情を申し立ててるような声が延々...これは触っちゃだめな人だったのだろうか...嗚呼。

それからいい加減荷物がこない。
食後ナースがきたときに荷物がないのはいいけど薬が入ってて超困るアピールしたら、さすがに本気出して探してくれた様子。7時半頃になってようやくバッグと靴が入った袋がやってきて、ベッドの横のイスに置いてくれた。
しかし手術室で直前に外したメガネ(紙の封筒に入れてくれた)がない。
痛いからだを起こし、なんとか腕をいっぱいにのばして重い荷物をベッドに引き上げ、中身を確認するもやっぱりない。靴の袋にも入ってない。予備メガネをバッグに入れておいたのでとりあえずの用は済むのだけれども。

とない力を振り絞ってがんばってたらがんばりすぎてとうとう嘔吐。せっかく一生懸命飲んだ水、全部吐いた。
ちょうど同室の患者さんのところにナースがいたタイミングだったので、ナースコール押さずとも様子を見に来てくれた。強い吐き気止めの薬を点滴針から入れてくれる。痛い。
荷物を手の届かないところに置くからだー!とナースの気の利かなさに心のなかで全責任転嫁。
あとメガネだけないよーとも伝えた。きっとしばらく出てこないであろう。
そして気づけばまたおなかがビシャビシャ。ドレーンもれもれ。また着替え&シーツ替え。
しばらくぐったり。もうどうにでもして。

少ししたら気の利かないナースがやってきて、交代の時間なのでメガネの件は別のナースに引き継いでありますと言われた。退院までに出てくれば十分です。
それからまた少しして、今度は夜番のナースがやってきた。血圧体温はかるときにテーブルの上に出しておいた薬に気づいて、今はまだ麻酔の影響でこの薬は必要ないから、後日麻酔が完全に抜けて数値が戻ったらまた飲んでねって言われた。今はじめて聞いた。
この夜番のナースはテキパキ仕事できる人だった。夕方のナースと全然違うよー。

それにしても全然眠れない。昼間細切れに寝たせいか。
どうでもいいけどおとなりのベッドの人、わたくしと同じ手術をわたくしより遅い時間に終えたはずなのに、荷物をごそごそしたり携帯で家族に電話したり、わたくしよりもかなりアクティブで驚いた。

まだ続く。

手術しに行ってなぜかサンドイッチを持って帰ってきた日の2日後に新たな日程決定。
今度は4月3日になるとのこと。
でもって今回は事前にドクターが説明してくれる時間をとってくれることになった。
さすがにさんざん振り回されてかわいそうであると思ってくれたのであろうか。
しかし4月3日だと2週間後(18日)に日本に行くのがちょっとどうなのかしらね、ってんでそれは相談してみようということになったのだった。

そして4月1日、事前説明の日。
外来で初めてきたときも予約制のわりにはけっこう待ったWomen's Clinicsだったのだけれど、今回はほぼ待たずに案内される。そしてじきにやってくるドクター。おそらく婦人科でいちばん偉い先生。まずは何度も変更になって大変でしたね的なあいさつをして、本題。
内容はほぼ24日にきいたことと同じなのだけれど、子宮内膜症が腸に飛び火しているので、まあたいていは大丈夫なのだけれど、最悪の場合腸に傷ついてものすごい大手術(一旦腸を外に出して処置してまた戻す手術するとかなんとか)になってしまうかもしれない的な話。こええ。
で手術の内容を再度確認して、確実に日帰りでなく1日入院になることも判明。
最後に「手術の2週間後に日本に行く予定なんですけど...」ときいてみたら、ドクター少し考えてから、変更をカバーする旅行保険に入るか、あるいは旅行を延期するかだね、何があるかわからないから。とおっしゃる。やっぱり2週間後は無謀だよなーと思ってたら、じゃあまた少し先になるけど旅行から戻ってから手術にしましょうか、との提案。助かった。それでお願いします。

では日程を調整するので待合室でお待ちくださいと秘書?ナース?に案内されたのだけど、旅行に行くなんて知らなかったわよ~て言われた。最初に1か月後に日本行くって言ったから。あとその後4月16日にスケジュールされそうになったときにも言ったから。言ったから!

さほど待たずにスケジュールが決まった。5月19日。
ちゃんと事前にレターも送られてきますよね?と確認した。前に送られてこないことがあって、それでわけわからなくなった実績があるからだ。レターOK。あと直前に再び血液検査だけ受けることになるとのこと。それはレターにコメントしておきますと言われ一安心。
今度こそ大丈夫だろうという気分で病院を後にした。

ひとまず手術のことは忘れ、子の誕生日だの小学校入学だのの慌ただしい日常に戻ったある日、手術日程のレターが届いた。
そこにはやっぱり血液検査について何も書いてない。イエーイ。
コンファームの電話をかけたら、ああアナタね、わかってるわよコンファームいらないわ的な感じだったのだけれど、直前に血液検査受けるように言われてて、レターにコメントしておくって言われたけれど、何も書いてないんですけど...と一生懸命訴える。さすがに調べてくれて、5月5日に血液検査受けなさいと。事前に何か送ってもらえるのかきいたらフォームを送ると。
きっと送られてこないだろうなーと思いつつまあそのときは病院に行けばいいかと電話を切った。

2週間の日本旅行を終え5月3日に帰ってきてまず郵便受けをのぞく。それらしき手紙ナシ。
まあ何もないと思っていたので慌てず騒がず5月5日にWomen's Clinicsへ。
受付で今日血液検査するよういわれたけどフォームが送られてこないよコンチクショー(心の声)と説明。少し待たされたけれど受付のお姉さんが血液検査フォームを持ってきてくれた。
ついでに普段飲んでる薬に追加があったのでそれもナースに伝えて欲しいと言ったのだけれど、なんかたよりないので持参した薬の名前が入った書類をコピーさせた。これもまあ伝わらないんだろうなー...(一応手術前に飲んでいけない薬であればその旨連絡するとは言ってたけれど)

血液検査フォームは2種類あって、ひとつは前回と同じものだったのだけれど、もうひとつ輸血関連の検査のものがあって、ああ大手術になる可能性があるからなのかしらんと少しブルーになったりもしました。少しね。

それから数日何事もなかったのだけれど、血液検査から3日後の木曜日、おともだちと街でおいしいケーキを食べていたら突然病院から電話があったのだった。いわく血液検査の何かの数値が低いので、処方箋出すからその薬を金土日と飲んでからまた血液検査してくださいと。で今日か明日にフォームと処方箋をWomen's Clinicsまで取りに来てほしいと。ひー。
がんばってその日行った。
しゅわしゅわで飲みにくい薬(多分水に溶かして飲む薬。薬局で何の案内もしてくれなかった...)もがんばって飲んだ。←まずい駄菓子っぽい味
月曜に血液検査また行った。
そしたらその日の午後に数値オッケーです手術ヨロシク!的電話がかかってきた。ほっ。

これで解放されたかと思ったら、手術直前の平日であるところの5月16日の午後にまた病院から電話があった。どうやらもう一度血液検査をしてほしいと。しかも手術直前の18日(日曜日!)にやってきて、と言われたのだった。これからGPに行ってGPからフォームを渡してもらうか、あるいはメールで送るかといわれたので、とりあえずメールでくださいとお願いする。
電話を切ってメールを待つ間落ち着いて検査機関のサイトを見たのだが、やっぱりどこも日曜日なんてやってなかった。さてどうしたものか、また電話するのか...と思いつつちょうど届いたメールを見たら、日曜日はやってないかもしれないので土曜日でいいよと書いてあった。気づいてくれてよかった。

17日の朝イチで血液検査して家に戻ると荒巻がなんだかぐったりしている。
元気もないし食欲もなく、午後には嘔吐。
夕方にも吐いてどうも脱水症状っぽいので時間外診療に連れてったら、Wellington HospitalのEDに連れて行くよう指示され、その日入院。
どうなることかと思ったけれど点滴効果か翌日には回復し退院。
なんでこんなにいろんなことが起こるの。んもう。

そしていよいよ手術当日です。
続く。

手術当日の3月24日。
こんなに変更だのなんだののゴタゴタがあったので、もう何があっても驚くまいぞ、と思っていた。
受付で今日のリストに入ってないです、とか言われてもハイそうですかと動じない自信はあった。

午後1時に病院に行くことになっていたので、あらかじめきいていた指示通り朝6時までに軽い朝食を済ませ、シャワーを浴びて家族3人全員で病院へ。総合受付で名前を言って、Theatreの方に案内してもらう。そちらの受付で連絡先などの書類を確認し、待合室でしばし待つ。
その間緊張してちょっとトイレ、と席を立ったらすかさずナースが「今日手術の方ですか?じゃあ検尿お願いします」と採尿容器を渡される。出しちゃう前でよかった。

しばらく待っていたらナースに別室に呼ばれた。そこで血圧や体温をはかり、ひととおり問診。ここで「通訳つけますか?」ときかれたのだけれど、「つけたほうがいいですかね...?」(どうせ手術だしじきに口もきけなくなるわけで)と逆に聞き返してみたら、今までの内容がわかってるなら大丈夫だと思う、もし必要ならそのとき考えましょうといわれたのでひとまずなしの方向に。

問診終わって一旦待合室に戻り、またしばらく待つ。
2時過ぎくらいだろうか、中の部屋に入るよう案内された。
カーテンで仕切られた個室にベッド、その上には手術着(?)一式。
着替えて剃毛もします、自分でしますか?それともこちらでしますか?と言われたのだけれど、剃毛ラインがどこまでなのか聞き取れなかったのでお願いした。トイレに移動して足元に紙を敷き、立ったままシェーバーで剃毛。そして背中側に紐があるので自分で結ぶのはちょっとむずかしい手術着を着て、すごくでかい紙パンツをはく。それから個室に戻り帽子と足カバー装着。ベッドに横になり、足にフットポンプを巻きつけ完了。
この時点で個室に家族が案内される。なんかいつもと違うカーチャンの様子を見て荒巻が微妙な反応。そしてここでパラセタモールを2錠、少ない水で飲むよう指示。

少しして執刀医がやってきて手術内容の説明をしてくれる。
手術はラパロスコピー(腹腔鏡手術)であること、左側卵巣嚢腫除去、子宮内膜症もあるとのことなのでそれも除去、ついでに子宮筋腫も子宮鏡手術(多分)で取ってしまうこと、それから内部を洗浄すること。基本的には日帰り手術だけれど、時間が遅くなるようだったら一日入院することになるなど。
ここ数ヶ月右側卵巣付近に激痛があることが何度かあったので、右側も見てくれるのかきいてみたら、もちろん確認して必要があれば処置しますと言ってもらえた。心強い。

それから麻酔医が来て全身麻酔の説明。
承諾書みたいなのにサインする。

さていよいよ手術か...と緊張する中、執刀医が戻ってきた。
「今あなたのMRIのデータをよく見たのだけれど、子宮内膜症が思ったより悪いことになっていて、どうも腸に癒着しているかもしれない。ここでこのまま手術してもいいのだけれど、ここには外科医がいないので、最悪の場合手術中に救急車でWellington Hospitalに運ばれることになるかもしれない」ええええええええええええ!

ドクター曰く、それはものすごくトラウマティックなことになるので、今日の手術は中止して、改めてWellington Hospitalで万全の状態で手術した方がよいと思う、ということであった。

全身の力が抜けた。

ていうかMRI見たの今なの?ねえ、今なの!?
2月に撮ってあったじゃない!
手術する直前じゃなくてもっと前に確認しようよ!!

て思いましたけれどもこれまでのゴタゴタぶりを十分味わった中なのでしょうがないかなという気もしました。まあ間違いがなくてよかったと思うことにしよう。

それから昼めしを抜いていたかわいそうなわたくしのために男性ナースが何か飲み物はいりますか?ときいてくれてお茶をくださいと伝えた。
さらに女性ナースがランチ用意しますか?とも言ってくれたのでお願いした。
着替えて誰もいない待合室で紅茶を飲みビスケットを食べ、ナースが持ってきてくれたランチセット(サンドイッチ、オレンジジュース、バナナ、ヨーグルト)を持って帰途についたのだった。

次回のスケジュールは改めて連絡します、とのことでこの日は終了。

さらに続く。

月曜日に手術・入院して火曜に帰ってきました。
昨日はまだ安定してなかったけど今日はけっこう大丈夫になってきた。
忘れないうちに経過を残しておこうかと思うのですよ。



事の発端は10月に日本に一時帰国した際に受けた健康診断。
その場でわかったすぐに対処すべき問題もあって、それは帰ってすぐGP(かかりつけ医)に行って何とかしたのだけれど、およそ1か月後に実家から転送してもらった健康診断の結果を持って改めてGPに行くことになってしまった。

まずはピロリ陽性。これはすぐに除菌の薬を出してくれた。
それから腹部エコーの結果子宮筋腫(これは知ってた)と卵巣嚢腫と脾腫で経過観察の指示+腫瘍マーカーの値が高いってんでこちらでの血液検査と超音波検査を受けるよう言われる。

超音波は予約制で12月末の予約を入れたのだけれど、血液検査はすぐ受けられるのでGPに行った翌日くらいに採血してきた。その数日後にGPから電話があって、やっぱり数値が高いのでWellington Hospitalに送ります、と。そしてそれからしばらくしてWomen's Clinicsから1月のアポイントメントのレターが届いたのだった。

超音波検査も無事終えて(インターナルスキャンのプローブを自分で持たせるのには仰天。)ドキドキしながらWomen's Clinicsへ。優しそうな女医さんいわく、Ovarian Cyst(卵巣嚢腫)なので手術します。RadiologyでMRIをとって急ぎでなければ3月になります、と。えええええ。
まさか即手術になるとは思ってなかったのですごくあせった。あと私4月の半ばに日本に行くんですけど大丈夫ですか?ときいたら全然大丈夫よ~て感じでホントかよ、と。
説明のときはもう1人別の女医さん(上司っぽい)がきたのだけれど、その人が早口なのとその日はわたくしひとりで少し動揺していたので、何度も何度も聞き返してしまった。それから手術の同意書みたいな書類を書いたのだけど、それがたくさんあるしなんせ英語なので途中ぐぐる様に何度もきいてようやく書き終わり、クタクタになって帰宅したのだった。EndometriosisとLaparoscopyのパンフレットもらった。あれ、卵巣嚢腫...?

Women's Clinicsを受診してから約1週間後に病院から手術日程が送られてきた。3月18日。
手術の一週間前にプレアセスメントがあるらしい。
粛々と待つ。粛々。
この時点でRadiologyからはまだ何の連絡もなし。大丈夫か。

2月。
やっとRadiologyからMRI検査に呼ばれる。
人生初MRI、検査着に着替えたりすることもなく、靴すら履いたまま、持参したCDを流してもらって(リラックスできるよう持ってきていいと指示がある)1時間以上かかり終了。
いろんな音がしました。

3月10日。
病院から手術日程変更の電話があった。わたくしより緊急度の高い人が入ったりしたのでしょう。
Pre-Assessmentは3月17日、手術は3月24日になりますと。
数日後レターが届いた。レターが来ないと何もわからん。

3月12日。
また手術日程変更の電話。しかし今度は4月16日と言われたので、手術の翌々日に日本に行くから無理ですと答える。とりあえずすべての日程は一旦すべてキャンセルでまたアレンジして連絡するというのでその連絡を待つことに。大丈夫か。

3月17日。
子を連れてカフェにでも、と歩いていたら同居人から電話が。
病院からPre-Assessmentはキャンセルされてないのですぐ来いと連絡があったと。えええええ。
クッキーだけ買ってその足ですぐ家に戻り、急いでWellington Hospitalへ。
ここで麻酔医から説明受けたり、心電図とかの検査したり、手術の内容を確認したりするのだけれど、Pre-Assessmentの担当ドクターはわたくしがどんな手術をするのかの詳細がコメントされていないと驚愕の事実を教えてくれたのだった。えええええ。
(具体的には卵巣嚢腫摘出なのかあるいはラパロで中を見るだけなのか、とか)
またかなり消耗して帰る。もう勘弁して。

3月18日。
買い物中に病院から電話。3月24日に手術だけど場所が変わってWellington HospitalでなくKenepuru Hospitalになるという。まさかのKenepuru。こっちの方が家から便利だし駐車場もタダだしうれしいのだけれど、しかし突然。
まさかの病院変更で脳みそが働かなくなったわたくしに、Pre-Assessmentのときにもらった冊子に全部書いてあるから!と言い切った電話の主よ。わたくしがもらっていたのはWellington Hospitalの案内でそこにはKenepuruのことなぞひとことも書いてないのだよ。
手術前日に時間を確認するために電話連絡しなくちゃならないその番号ももちろん病院ごとに違うので、帰ってすぐ病院のサイトから見つけ出して印刷した。ふぅ。

とにかく日程変更につぐ日程変更、あとどういう手術するのか全然わからないので困るってんで、初回Women's Clinicsに行ったときにもらってたナースの名刺にあったFax番号あてに質問を箇条書きにして送った。そしたら21日に連絡があった。手術は24日、場所はKenepuru、手術の内容も当初Women's Clinicsで説明されていたとおりだと。
どっと疲れが出たけれど、24日に手術が決行されるのはわかった。

そして24日。
以下続く。

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